「音楽ファンにとって、“可搬性”が“忠実性”をしのぐ」?
5月11日付のヘラルド・トリビューン紙に、こんな記事がありました。
「音楽ファンにとって、“可搬性”が“忠実性”をしのぐ」と題されたこの記事は、ポータブルオーディオの爆発的な普及によって、「いい音で聴く」という文化が廃れてしまったアメリカの現状を訴える内容になっています。日本と比べれば、高音質配信やアナログ盤のリリースに積極的であろうと思われるアメリカでも、「音楽のポータブル化」の進行は深刻なもののようです。
記事の中には、20代前半の若者(Lady GagaやJayZが好きなiPodユーザー)が、自分のオーディオシステムをアップグレードしたいという気持ちがないわけでもないけれど、「自分に音の違いが分かるかどうか分からない」と及び腰になっている様子が書かれています。
そして、記事の最後では、スタンフォード大学の音楽教授という方が「良い音、悪い音と考えられるものは、時とともに変化するので、異常な音が主流となることもあり得る」と語っています。「異常な音」とは、再生音を大きくするために、コンプレッサーをかけたり音を潰したりして音圧を上げている音のことで、今は正にこれがポピュラー音楽の「主流」です。
さて、「“いい音”を聴こう!ピュアオーディオ視聴会」を行っている僕の立場から申しますと、まずこの「自分に音の違いが分かるかどうか分からない」という人達に対してまず訊きたいんです。
「アップグレードしたらどんな音が鳴るのか、聴いたことがありますか?」
これは「「“いい音”を聴こう!ピュアオーディオ試聴会」始めます」でも書きましたが、日本において今の若い人の殆どはピュアオーディオの音に触れたことがないまま大人になります。それでは「分かるかどうか分からない」のは当然です。特にアメリカのディーラーの場合、日本のように冷やかしでオーディオショップに入るということがないということを考えれば、状況は似たようなものでしょう。
また、「良い音、悪い音は、時とともに変化する」というのも、「果たしてそうでしょうか」と言いたくなります。
今巷に流れている、多くの人が耳にしている音を“いい音”だと思っている人はどれぐらいいるでしょうか。
例えば「音楽は生が一番!」という人は大勢います。僕もそう思います。でも、「生の“音”が一番」だと思えるような体験は、そう多くないんじゃないですか?
つまり、だれも“いい音”を聴いていないんです。聴こうともしていません。というか、その発想が生まれない世の中になってしまっているんです。
こんな状態で、匙を投げるように「異常な音が主流となることもあり得る」なんて言ってて、本当にいいんでしょうか。
少なくとも、今まで僕が視聴室にお迎えした方々(マドナシさん、シャムキャッツ、HOP KEN杉本君、そして、イベント発足前に打ち合わせで来ていただいた夏のあくびのなしを。さん。)には、はっきりと音の違いを感じ取ってもらえました。彼らが特別な人達だと思いますか? いいえ、普段音楽を聴いている環境は、皆さんと同じです。僕だって、毎日iPodでばかり音楽を聴いています。
これは「24bit/96kHzとmp3との違いが分かるか」というようなこととは全く別の話です。いくら非圧縮の状態で音源が用意されても、元の録音が駄目なら“いい音”には聴こえませんし、録音が素晴らしかったとしても再生装置がプアなら、ポテンシャルは発揮できません。
OTOTOYという音楽配信サイトで、高橋健太郎さんがこんなことをおっしゃっています。
“昔はジャズ喫茶みたいなのがあって、JBLとMacintoshとOrtofonでいい音を聞く機会はよく考えれば500円払えばあったんだよね。まぁそれが良いか悪いかは別としてさ。今はどこでそれが聞けるか? 普通の人は、オーディオのショー・ルームなんかに行くわけないじゃない? クラブとかライブ・ハウスとかも、必ずしも良い音じゃないし。昔あったいい音を聞ける場所が無くなったってのは残念だよね。”
この視聴会も、ゆくゆくは、「いい音を聞ける場所」のひとつのチャンネルとして機能できるようにしていきたいし、他のオーディオメーカーの方々も、若者を引き入れる「場」を生み出す、もしくは若者が集う「場」に入り込むような新たな施策を生み出していってほしい、と、いち音楽ファンとしても強く願っています。
ポップミュージックのゆくえ 音楽の未来に蘇るもの | |
高橋 健太郎
アルテスパブリッシング 2010-06-30 |
いい音を楽しむオーディオBOOK (SEIBIDO MOOK) | |
上田 高志
成美堂出版 2011-12-02 |